瞑想

今週はITMチェンマイ本校のCAPT(上級講師課程)の方たちは、お寺での瞑想体験がありました。
僕は試験官でしたので行けませんでしたが、機会があればお寺での瞑想にも行きたいです。

ここ最近、瞑想について話題に上る機会が多く自分自身もいろいろ瞑想について考えたりすることが多かったです。
約7〜8年前にタイのお寺内にある瞑想センターで2週間の瞑想生活を2回経験していますが、その4週間の経験はすごく意味のある貴重な時間でした。

ですが、お寺や瞑想センターに行くことが目的になってしまうと上手くいかないんだろうなと思います。

僕がお寺にある瞑想センターに滞在していた時に一人の日本人(60後半くらいの男性)が見学に来ました。
その方は今まで自分の部屋などで瞑想をしていて、それが上手くいかなかったので、普通の部屋ではなく森の中の小屋で瞑想がしたいと。

その小屋で瞑想をするためにここまできたと。
森の中で瞑想をするのが本来の形だし、整いすぎた環境ではなく厳しい環境じゃないと修行にならないと。

ご本人は自覚がないようでしたが、これってものすごい欲ですよね。

そういった欲に振り回されない自分であるために瞑想をするという意味もあるのに、そのことに気づかず自分の欲を全面に出していたその方が少しかわいそうでもありました。

僕自身、その見学者の態度や言動で大切なことに気づかさせてもらったので良かったのですが、その方が実際このお寺に入られたのかわからないですし、その後瞑想が上手く行ったのか少し心配が残る感じでした。

本当に厳しい環境を望むというのであれば、手の届く範囲にパソコンなりスマホなりお菓子なりお酒なり、さまざまな娯楽や快楽が身近にありながらも、その欲に負けずに瞑想をする。そういうことだと思うんです。

ただ僕はそこまで強くないので瞑想に集中できるお寺での瞑想センターにお世話になりました。

そしてその経験(1日の大半を瞑想に集中して過ごす毎日)があったからこそ、今も瞑想に向き合えるんだと思います。その時ほどストイックにはできていませんが。

自分自身が生活するその環境の中でも、ほんの数分でも自分の内面に向き合う時間がとれて、過去にも未来にもとらわれない今という瞬間を過ごすことができたら、それが最高の瞑想体験なんだろうなと思います。

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